旅をテーマにしたCiaoのエッセイを紹介しています。

 Vol.6

旅の思い出に、その土地の香りがするささやかなアイテムを購入することがよくある。先住民の歴史が残る場所であれば、彼らの温もりが伝わってくるハンドメイドのもの 〜メディスンホィールであったり、アクセサリーであったりetc・・・。
2006年1月に訪れたセドナでも、思い出の品物をいくつか購入した。
アリゾナ州セドナは、ヒーリングスポットとして知る人ぞ知るところ。世界のヒーラー、そして芸術家たちが集まってくるスピリチュアルで魅力的な場所である。
そのセドナでめぐり合ったものは、ネイティブアメリカンのハンドメイドである1点もののターコイズ・リング。かつて横浜で暮らしたことのある(その際、偶然にも天皇陛下にお目にかかったことがあると話してくれた)女性オーナーが経営するクラフトショップで見つけたそのリングは、私の指にジャストフィット。その時、何か不思議な因縁を感じ、そのまま指につけてショップを後にした。帰国後、そのリングをお守りのようにいつも身につけていた私だが、石の部分の重みからか、くるくるとまわることもしばしば。セドナと自分の暮らす場所との標高の違いに、この時初めて気が付いた。

セドナの思い出をひそかに楽しみながら、こうして2006年はスタートした。
春先になり、できるだけたくさんの時間を自分磨きに使いたい!と、沸々と感じるようになった。そして、4月の受験を皮切りに、スキルの証明&スキルUPにと 、PCの資格取得作戦?に乗り出した。
そんな、閃き(いや、半分思い付きのような)、訳の分からない衝動にかられた私は、タイトで自虐的な学びの日々を過ごすこととなる。
秋までに取得しようと決めたのは・・・
IC3(INTERNET AND COMPUTING CORE CERTIFICATION)』
Microsoft Office Master
(ついでに、科目ごとに設けられたセクションを、それぞれ50%以上取得して合格することという条件を自分に課して。)
1ヶ月に1〜2科目のペースで受験し続けること半年余り。
結局、『IC3』は勿論、“Master”という称号に必要な4科目のみならず、全ての『Microsoft Office Specialist』(7科目)を受験し、目標達成。11月までの(とりあえずの)挑戦は終わった。
初めて使ったソフト「Access2003」、無欲の勝利ともいえる嬉しい1000点満点合格!を果たすことができた「Word 2003 Expert」と「Outlook2003」(Outlookは受験最後の科目だった)。
学生の時には気付かなかった学ぶことへの喜び。課題を達成することの充足感。
昔もっと頑張っておけば・・・と思うことはしばしばだけれど、自分がやれることを少しずつでもやっていけたらと思う。やりたいことができる環境にも感謝しなければとも思う。

科学的な根拠がないにもかかわらず
、大地のエネルギーが岩山から渦を描くように噴出していると言われている“ボルテックス” ポイントをいくつか巡り、ネイティブの人たちが暮したセドナで見つけたターコイズのリングを身に付け・・・。
半年間の受験を振り返ると、見えない力に支えられてきたなぁという、そんな思い。ちょっと宗教がかって聞こえるかもしれないけれど、信じるものは何とやら・・・。
自分を奮起し、支えるきっかけになれば、何事もよしとしましょう。

 Vol.5

  Webサイトを開設していると、私たちが旅した場所に関して問い合わせを頂くことがある。2つの場所を比較してどちらがおすすめですか?とか、その地で活動していたアーティストの情報を持っていませんか?とかetc・・・旅行先として検討している方から、仕事の題材として素材探しをしている方まで。“自分たちの経験が少しでも誰かの(何かの)役に立てば”という思いから始めたサイトであるから、それはとてもとても嬉しいことであり、やっていてよかったなぁと思う瞬間である。
つい先だって、新しく出版する情報誌に『コスタ・アレグレ』の写真を使用させてもらえませんか?という依頼があった。その土地のイメージが損なわれるようなのものではないかを確認したかったので、内容について尋ねると、しっかりとした企画書まで送って頂き、快く承諾することにした。
本のタイトルは『くるダス』(アスコム社より、2006/7/25発刊)。
コンセプトは、タイトル通り「くる」と「ダス」。各専門家がこれから何が「くる?」という問いに対して、ズバリ解答を「ダス!」というもので、今もっとも旬なキーワードを、日本を代表する66名の専門家が様々なテーマについて解説している。
写真が使用されているのは、テーマ「生活_旅行〜海外旅行、次にどこがくる??〜」(P102)
海外旅行情報誌(我が家のバイブル的存在!)「AB‐ROAD」の編集長が、断然注目している場所として『コスタ・アレグレ』を紹介して下さっている。なんと光栄なことだろう。
悲しいことに、その「AB‐ROAD」は、2006/9/9号が最終号となってしまうが・・・。
テロ以降、どんどん薄くなっていく紙面を懸念していた者としては、来る時が来たか・・・という残念な思いで、このショッキングなニュースを知った。
新婚旅行先を夢見ながら 2人で本を見ていたあの頃、現実の世界からエスケープしたくなるといつも開いていたこと・・・思い返せば、いろいろ学ばせてもらったなぁ、一杯夢をもらったなぁ。インターネットが重要なツールとなってしまった今、仕方のないことなのかもしれないけれど(自分がWebサイトを開設しておきながら言うのも何だけど)、失ってはいけないものがあるとそんなことを思いながら、AB-ROADと共に歩んできた私たちから、最後に感謝の言葉をひとこと。
「Thank you for everything!」

 Vol.4

旅先での楽しみのひとつに、『ART』との出合いがある。
体調不良で断念したニューヨークの美術館めぐりは、その後 リベンジ?旅行で実現したが、有名な美術館ではなくても、ちょっとしたギャラリーを訪ねることも とても楽しい。
以前、趣があって大好きなエリアSOHOのギャラリーを、2年続けて訪れたことがある。
ふらっと立ち寄ったギャラリーで一目ぼれした、イエローキャブをモチーフしたPOPな3D_ART。“
John Suchy”という作家の作品だった。その作品のあまりのかわいさに、気軽に買える価格の作品を一つ買って帰ることにした。その時、その作家が有名であるかどうかはぜんぜん関係なく、心に響いた作品だったから。
翌年ニューヨークを訪れた際にも、また一つ彼の作品を購入した。
その後久しくニューヨークには行っていないけれど、あのギャラリーは まだあの場所にあるだろうか・・・。
今も2枚の絵を見ると、あの時の身の引き締まるようなニューヨークの寒さと、SOHOの景色が思い出される。

街そのものがARTなサンタフェにも、大好きな美術館がある。
Georgia O'Keeffe Museum』である。
荒野の女流画家 ジョージア・オキーフ(1986.3.6 サンタフェにて死去)の作品を集めた美術館 で、彼女の死から11年後の、1997年に建てられた。
ニュー・メキシコの荒野を描いた風景画、斬新な視点で描かれた花など、彼女の作品が多数展示されている。
サンタフェの抜けるような青空をバックに凛として立つ教会を描いた作品(ポスター)を、真っ白な額に入れて飾っている。

つい最近、作品に一目ぼれしたアーティストがいる。
彼女の名は“ペギ・ホッパー”。ハワイ在住のアーティストである。
雑誌で見た作品に一目ぼれした私は、ハワイ(チャイナタウン/ダウンタウン)にある彼女のギャラリー『The Pegge Hopper Gallery』を訪ねて行った。
短い滞在日数、開館時間に間に合うかどうかという厳しい状況の中、住所を頼りにギャラリーを探しあてたときの感慨はひとしお。閉館数分前のことだった。奇跡のような出合いと言ってもいいかもしれない。
本物の絵を購入とはいかなかったけれど、コアのフレームに入った作品(プリント)とカレンダー (サイン入)を購入し、ギャラリーを後にした。
新しい年、彼女の作品が描かれたカレンダーを飾るのが、今からとても楽しみである。
最後に、閉館時間を過ぎていたにもかかわらず、いやな顔をせず対応してくれたギャラリーのスタッフに「MAHALO!」
思い出と共に、お気に入りのギャラリーがまた一つ増えた。

 Vol.3

今でこそ、15時間にも及ぶ空の旅をもろともせず、心のおもむくまま、あちこちに出かけいく私だが、初海外旅行先ニューヨークでは、体調を崩し寝込むという悔しい思いをしたこともある。結婚式の準備やら何やら、気が付かないうちに疲労が蓄積していた為か、単なる虚弱体質からか、滞在途中から、昼間はホテルで休養し、夜は目的のミュージカルに出かけて行くという、何とも情けない思い出である。
乗り物にめっきり弱かった子供時代を思い起こすと納得の成り行きではあるが、その割には出たがりの私が、大好きな旅を続けるうちに、いつのまにか 肉体的にも精神的にも鍛え上げられ、今では旅を思う存分楽しめるようになった。
鍛えるといえば、“ことば”もしかり。
ニューヨークで学んだことは、アレコレ考える前に、積極的に話すことが最も重要であるということ。
伝えようという気持ちがあれば、相手は理解してくれるもの。
話す前に文章を組み立てようとしていた、日本人にありがちな英語(英会話ではない)で挑んだ私とは対照的に、旅の良きパートナーである夫と言えば…。
高校時代、スヌーピーをテキストに英語を学び(これを最初聞いたときは、ちょっと馬鹿にしていたのだけど)、大学時代バイトしていたマクドナルドの外国人向けのマニュアルが幸いして、物怖じしない意外な一面を見せるではないか。

よくよく考えると、理にかなった学習法をとっていたわけである。
大事なのは生きた言葉を使えるようになること。

この旅の教訓を生かし、その後、英語ではない“生きた英会話”を学ぶために、アメリカ人講師のいる英会話教室に通うようになったのである。

 Vol.2

初めてのニューヨークは、航空機のオーバーブッキングにはじまり、オーバーブッキングで終わる旅だった。

当時、ハネムーンにニューヨークへ出かける夫婦は稀で、本当ならばもっとスウィートな場所を選ぶのが普通だろうが、まぁそこは人それぞれ。

初っ端からさまざまなハプニングの洗礼を受けたおかげで、またニューヨークという、今とは違う意味で物騒で 危険な香りがする大都会での体験があったからこそ、自然と“旅の心得”の基本形が身に付いたとも言える。

話を元に戻すと、行きのオーバーブッキングでは、サンフランシスコ経由の予定がニューヨークへの直行便に振り返られ、ちょっと得した気分で日本を飛び立った。

しかし、荷物は当初の予定通りサンフランシスコ経由便に乗せられ、晴れのニューヨークでの初日は着の身着のまま過ごすこととなる。

観光から帰ったあの日、フロントで荷物のことをどんな風に尋ねたかは定かではないが、スーツケースは無事手元に届いたのだった。

ついでに、帰りのオーバーブッキングについて話すと、今度は直行便の予定が、経由便に振り返られ、サンフランシスコで一泊しなければならなくなった。

ホテルと食事(1人1回分の国際電話付き)、そしてもう二度ともらうことはないであろう かなりの額のお詫び金を航空会社から頂き、ニューヨーク旅行サンフランシスコおまけ付きなる思い出深い新婚旅行となった。
帰国後 宿泊予定だったホテルや出会う予定だった友人たちへの予定変更の電話を終えホテルの外へ出ると、ふりそそぐカリフォルニアの日差し。

あの日のサンフランシスコは陽光あふれ、きらきらと光り輝いていた。

ホテルで頂いたオレンジジュースの美味しさは格別のものだったし…。

災い転じて何とやら。

その時のお詫び金は、しっかり次の海外旅行のおこづかいに早変わりしたのだった。

 Vol.1

気が付くと、海外旅行フリークになっていた。
特別な環境に育ったわけでもなく、海外デビューが新婚旅行という、至って遅咲きのトラベラーである。

とは言うものの、異文化への好奇心は幼い頃からあったような気がする。
カトリック系の保育園に通っていたこともあって、小学生の時にはその延長線上で、土曜の午後 教会で開かれていた無料の英会話教室に出かけていた。
どこの国の方だったかは記憶にないが、神父さまにアルファベットや簡単な英単語を習ったり、クリスマスパーティに参加したり…と、楽しい時間を過ごしたことは今でも忘れられない思い出の1ページである。
授業で英語を習うようになってからは、より一層、外国の“ことば”を学ぶ喜びは増し、某ハリウッドスターへファンレターを出すという、その当時からすでに、夢見る夢子の片鱗をうかがい知ることのできる、笑えるエピソードもある。
悲しいかな、その当時売れっ子だったそのスター ― 名前を聞いたら笑われるのがおちなので、あえてその名は明かさないが ― からは、返事が返ってくるはずも無く…。
そのとき真剣に添削して下さった英語教師に、この場を借りてお礼を言いたい。
そんな乙女?時代を過ごした私が、華やかなエンタテインメントの世界が広がるアメリカへ目を向けるのは当然のことで…。
演じることに夢中になってからは、ニューヨークのブロードウェイへミュージカルを観にいきたいと思うようになっていた。
ということで、新婚旅行先は迷うことも無く“ニューヨーク”となったわけである。
そしてこれが、海外に足しげく通う あきれもの夫婦の原点とも言える旅。
夫婦珍道中のはじまりである。

 

 
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