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![]() 展覧会「フリーダ・カーロとその時代」 ![]() ![]() ![]() ![]() メキシコの女流画家フリーダ・カーロ(1907〜1954年)の生涯を描いた映画「フリーダ」を観た。メキシコを訪れてから、前世はメキシコ人?と信じてやまない私にとって、彼女は気になる画家であり、メキシコに少しでも近づく為に知っていなくてはならない存在であった。 ただ、彼女の作品が「シュルレアリスム」に分類されるとは知らなかった。何を隠そう、シュルレアリストの代表格「ダリ」の展覧会を観に遠方まで出かけて行ったり(部屋にはポスターを飾っている)、「ミロ」の作品も好きだったり、いつか彼らの美術館があるスペインのフィゲロアやバルセロナに行ってみたいと思っているほど、あまり一般受けしないシュルレアリスムの作品に心惹かれる私は、フリーダ=シュルレアリストと言われていることが、驚きでもあり嬉しくもあった。 時を同じくして、「美しき女性たちのシュルレアリスム フリーダ・カーロとその時代」と題して、カーロが生きた20世紀前半のメキシコで活躍した女性芸術家の作品を集めた展覧会で、彼女の作品に直にふれることができ、感動もひとしおだった。 彼女の波乱に満ちた人生を映画で目の当たりにし、作品に描かれている彼女の内なる思いを知る。彼女の人生そのものが現実をはるかに超えていて、まさにシュルレリスムであると実感した。彼女の生き様は私にとって衝撃であり、絵画を観てこんなに胸が熱くなったことはかつてなかった。 「フリーダ」は、ドイツ系の父(母はメキシコ系)から与えられた、「平和」を意味する名前。 6才の頃にかかった小児麻痺で右足が不自由になり、「びっこのフリーダ」とあだ名を付けられ、辛い幼少時を送った。このため、若い頃はパンツで、後にはメキシコの民族衣装のロングスカートで足を隠そうとした。溌剌とした青春時代を送っていた18才の時、乗っていたバスと路面電車が衝突事故を起こし、人生が一変。腰を鉄棒で貫かれ、鎖骨・肋骨・脊髄・骨盤が砕け、右足が潰れる瀕死の重傷を負ったことから、キャンバスに思いをぶつけることが「生きる証」となっていった。以後、生涯に32回の手術を繰り返し、偉大なメキシコの画家ディエゴ・リベーラとの結婚後は、事故の後遺症での流産、彼の浮気・・・と、耐え難き苦悩の数々。しかし、彼女は奔放で、情熱に満ちた47年の生涯を生き抜いた。 そんなフリーダに惚れ込んで、製作権とフリーダ役を射止めたメキシコ人女優サルマ・ハエック。彼女は、まるでフリーダが乗り移ったかのように、この映画に全身全霊を注いだ。映画の彼女は、フリーダそのものだった。 こんな不幸のどん底とも言える苦悩の中にあっても、映画そして絵画が暗くならないのは、鮮やかな色彩を放つメキシコという土地柄もあるかもしれない。彼女を取り巻く色彩は、大好きなメキシコの建築家ルイス・バラガンを思わせるもので、カラフルで、洗練されていて、とても美しい。 コヨアカンにある「青い家(現在記念館となっている)」で生を受け、ディエゴに見守られ闘病と制作を続けたフリーダは、1954年7月13日、47才の誕生日の7日前、この世を去った。日記には、「出口が喜びに満ちているといい。私は、戻りたくない。」と記されていたという。「死んだら焼いて。もう寝るのはたくさん。」そんな彼女の言葉通り、遺体はだびにふされた。 負の要素をプラスにかえる彼女のエネルギッシュな生き方&パワーに贈る賛辞は、「VIVA LA VIDA(人生万歳)」。人生をこんなふうに精一杯生き抜くこと、はたして自分にはできるのだろうか? |